煩悩の犬を追え

とにかく久しぶりです

パソコンが壊れてしまい買うこともできず、踏んだりけったり貧乏金なしという当たり前のことに気づかされる日々、皆様いかがお過ごしでしょうか。

先日2年ぶりの本公演「煩悩の犬」が無事に終幕し、ほっと胸をなでおろした隙に、なれない漫画喫茶で書き込みをしております。

今回の公演の前に2年のブランクがありました。もっとも僕はその間に短い作品ではありますが、ジャムジャムホリデーとブラックジャムジャムのために3本の台本を書いていたわけで、休みとはいえない日々をすごしていたのですが、なにぶんどちらのユニットも登場人物が少なく、また時間も短い作品のため、取り立てて苦もなく書き上げたので、まあ大丈夫だろうぐらいの気持ちで、本公演の執筆にはいったのですが、これがまた苦労の連続で、6階以上の建物に上がった際は何度ここから飛び降りたらさぞ楽になるだろうと思ったか知れません。

自宅では2度発狂しそうになりました。

この発狂がまたどこか自分を落ち着かせてくれるんですね。大声をだして、クッションなんかに噛み付いてみたのですが、落ち着いてくると自然と笑えてくる。まだまだ僕も廃人にはほどと多いようです。

さて、そんなこんなで書き上げたこの「煩悩の犬」ですが、結論から言うと僕にとっては本当に勉強になり、また次へのステップになる作品になりました。

作者があまり作品の内容に関してつらつら書くのは、みていただいたお客様の想像力の妨げになるのであえては語りませんが、今回こだわったのは、生身の人間の声であるということでした。

表現の世界にはさまざまな手段があります、音楽や、踊りやいろいろある中で、僕ら演劇ができることというのは、生身の人間がその場で声を発するということだと思うのです。

さまざまな感情がこめられた声を、生身の人間ののどを通して、生で皆様にお届けすること。これに尽きる気がします。

日々人は変わっていて、いろんな体調その他もあると思うのですが、その中でも自分の心の中に確かにある想いというのは変わらない、ならばそれをそのまま表現してみようじゃないのというのが、最初の狙いでした。

だれの心にもある煩悩をさらけ出し、心の声を試してみようとおもったのでした。

役者は悩みます。稽古途中、だめだしをするのですが、自分がだめを出されているのか、役がだめを出されているのかわからなくなる役者もいて、基本、みんな自分のことが一番わからないというのが、今回の大きな発見でもありました。

そんな風に心を見つめ、さらけ出すことによって生じる痛みの向こうには、深い共感と、一人じゃない暖かさが伝わるものなのだと感じられる公演になりました。

かくいう僕もその痛みと暖かさを感じている張本人であります。

2年ぶりの本公演。新たな旅立ちをするならば、すべてを脱ぎ捨てる勇気が必要なのではないのか、そう考えました。

これからも新たな芝居を模索しつつ、人を見つめ続けたいと思います。

すでに次回公演の構想もちらほらりありますので、今後ともぜひ応援よろしくお願いします。
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# by biritake | 2009-06-06 17:09  

これでいいのか

西から昇ったお日様が東へ沈む。

たいへーん!

17代目天才バカボンだった幼いころの私は、本気でこのことを信じていた。

学校でそのことを笑われ、喧嘩になり、このことを主張し続けていたためか、いまだにお日様がどっちから昇るかを答えるとき、一度この曲の一節をうたってから答えている。

それくらい私たちに影響を与えたバカボンの作者、赤塚不二夫先生が亡くなった。

突然失礼しました。

長らく休んでいたのはパソコンが壊れてしまいネットのできる環境ではなくなったことと、生れながらの金欠と、時間的余裕がなかったためでございます。

楽しみにしていた方々には申し訳ございませんでした。

今もこれネットカフェで書き込んでいるので、また更新が遅くなるやもしれませんがお許しください。

もとい

先日偶然そのバカボンのアニメを見ていた。

この世には神がいるもので、なぜだか我が家にケーブルテレビがやってきたため、アニメの専門CHなどを楽しめることになったんだけど、たまたまテレビをつけたらバカボンをやっていたので何となく見ていたらはまってしまった。

タイトルはバカボンなのにメインはほとんどバカボンのパパというところがまた何とも素晴らしく力が抜けていて、しかもこのパパがとてもいい。

当時も大好きで見ていたが、改めて年を重ねてみてみると、ものすごく癒される。

パパは決していい人なんかじゃなくて、意地悪で、嫉妬深くて、お金なんかも大好きで、愛への妥協などなく、あんなに暖かく見守っているママをぶったりも平気でしている。

でもそこに流れているパパのすごいところはなんにせよまっしぐらなところ。あけすけなくただまっしぐらなのだ。全力と言っていいのか、意地悪なこともお金に関してもすべて全力なのだ。過去などない。悪いことをしたと思えば平気でその人の前で謝る。要はパパにとって大事なのはそう思ったかどうかであって、でもなぁなどという感覚はまるでない。

だから狂ったおまわりさんなんかもパパに怒りを爆発させることができる。その後がないからだ。

いやな奴だと思えば、そいつに言うか、藁人形を作るか、まあいいやってところがまるでない。

これでいいのだ!なのだ。

先日、1本芝居を終えた。

先日って言ってもこの日記からしたら、何本か終わってるんだけど、ジャムジャムホリデーの戻り川ハイツ303号室というシリーズの芝居で、哀しくてジェラシー編というのを上演した。

ご来場いただきました皆様ありがとうございました。

その芝居は嫉妬がテーマだったんだけど、台本に取り組んでいたあるとき、実は自分にはものすごい嫉妬心があることに気が付きおそれおののいた。

それはあまりにどす黒く、あまりに強大で、なんだかこのまま変身してしまうのではないかと思うほど自分を突き動かしているものだった。

激しい嫉妬心に包まれたときに、それを押し隠す激しい力はあまりに醜い。

されどいたしかたなく、吐き出せば明らかに自分が変身してしまうのがわかるため、少しづつ小出しにしたり、相手に嫌な思いをさせたり、確かめたりしている。

ひと思いに仮面ライダーみたいに変身できたらと思う。

嫉妬ベルト。

「自分ー大好きー!トウー」

なんて言って変身できたら、ああ、あの人嫉妬に狂ってるんだなんてわかってもらえるのに。

ちょっと待てよ・・・わかってもらってどうする。

嫉妬仮面に変身した後何をする?

泣きじゃくるのか?せっかく仮面になったのに?

無意味だ、とても無意味だ。

嫉妬の感情に男も女もない。赤ん坊が成長する過程で生まれる、人間ならば誰もがもちうる感情なのだ。嫉妬が、愛している人から誰よりも愛されたいと思う感情の裏返しだとすれば激しい愛がまずそこにはあるはずなのだ。

なければ何もない。

何も思わぬ人からそんな感情は出てくるわけがない。

この芝居を演出したとき、まずその相手役を好きだとする感情を呼び覚ましてもらった。

とても難しい作業だったけどそこから始めなければならなかった。

役者って大変ですね。面白いけど。

パパならどうするだろ。

素直にママにぶつけるのだろうか。

「ママやめるのだ!」

というのか?それとも激しくもがき苦しみバカボンに当たるのか。おまわりさんをからかうのか。

答えをパパに聞いてみたい。
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# by biritake | 2008-08-08 17:53  

一歩前に進むには

地球って丸いねぇー

何だか丸いね。

かぐやは未だに月をグルグル回り、満地球の映像を送ってきた。満地球を撮るには年2回しかチャンスが無いという。
きっと何かあるんだろうな。きっと、学術的な意味とか、難しい事が。素人がわからないような難しい研究にとって必要なものなんだろ、満地球。

まさかそれが目的ではないよね。

いろんな研究の一環なんだろうけど、もうひとつピンと来ない。

満地球っていう呼び方も何だかなって感じだ。だったら弓張り地球の方がまだいいかな。

なんだろ、自分のことを、名前で相手に言うような気恥ずかしさがある。

そんな中でも満地球。やっぱり丸いなぁ。正確には丸ではないのだが、やっぱり丸い。

そして海。

地球は海の星だ。

考えたら、地球は7割が海。3割の地上さえよく解ってないのに、7割の海にはきっととんでもないものがあるに違いない。そのとんでもないものに出会える機会もすごく少ないはずだ。

長生きしなきゃなぁ

でも、今住んでるこの地面が丸いとはとても思えない。測量の仕事をしていたとき、正確に長さを測るため、地球の丸さを計算に入れる。丸いものが直線なのだ。だから本当の直線は曲がってる。

上とか下とか考えると、丸い地球に居る事が不思議になる。何事も頭から決め付けてはいけないという事ですな。

1歩前に進むには、目標を明確に置くべきです。

それは小さな旗でいい

後ろに進んだって構わない。

なんたって地球は丸いのです。
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# by biritake | 2008-04-14 00:34  

あの素晴らしいカルビをもう一度

驚いた。
カルビが食べられなくなってきた。
年だとは決して思いたくない。決して。
子供の頃は脂っこいものは苦手だったのだが、大人になって大好きになり、焼肉といえば何?という質問が飛べば、間違いなくカルビ!と答えていたのに、そのカルビが、先日食べられなくなっている事に気がついた。
食べた後、すぐに眠たくなるのも、胃腸の活動が弱っているせいだという。

一体どうすればいいのだ。

あの素晴らしいカルビをもう一度たらふく食べるには。

老いという苦がドーンと襲い掛かかるが、負けたくない。そんな事ではないはずだ。
フラフープでもやれば、もう一度あの愛に戻れるはず。

違いますか?

口では、いやーカルビがねきつくなりましたーなんて、ちょっと老いを自虐的に話してはいるが、心の奥では、なんと言う事だという想いが強い。

これは思春期の男の子の悩みに近いのかもしれない。

あんなにつるつるですべすべだったのに、声は変わり、変なにおいがしてきて、毛なんかも突然、思いもよらない形で生えてくる。

来た!と思う瞬間だ。

身体はなんだか大きくなり、爆発するような欲望の塊が下半身に宿る。

完全に身体をもてあます時期が男の子にはやってくる。

自分ではどうしようもない成長というものを観られるのが恥ずかしく、親の目線などを激しく気にしだす。今までどうりに行くつもりが、突然やってくる爆発的な変化に一番戸惑ってるのは男の子なんですよおかあさん。

部屋に入って臭いなどとうかつに口走ってはいけません。今まで言われた事のないそんな言葉で、自分がとても汚らわしいものに思えてくるのですよ、男の子は。

とても難しいんです。

第2の思春期がやってきました。いえ、思秋期でしょうか。

ちょろちょろ流れる小川のような変化が身体に訪れるこの時期。気がつけばおなかが出ていて、食べるものも変わってくる。公と私の分かれ目が弱くなり、無遠慮な言葉でなじられる。

しかし思秋期は、時の流れで変わり行くものとしたら、それは思春期となんら変わりは無いものなのです。

無遠慮な一言で傷つくおっさんもいるかも知れません。気をつけてくださいねお母さん。

ちなみに私は、おっさんであることに全く抵抗はありません。ええ、本当です。

私は只、カルビとの愛を取り戻したいだけなのです。

それはかなわぬ思いなのか。

ロースが優しく微笑んでます。
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# by biritake | 2008-04-12 00:37  

獅子はたてがみを慄かせる

あっという間に散り去った桜だったが、なんとか花見などで満喫できた花粉激しきこの春、再び三度、小さな芝居を作っています。
今回の芝居は男だけ。
書いている最中で気がついたのだが、実は男だけの芝居を書くのは初めてなのだ。
驚いた。
常に男を描いているつもりが、圧倒的に女性を描いた作品の方が多い事に気がつく。
女性との絡みの中で見え隠れする男を描いてきたのだが、今回はその対比がまるで無い。
真っ直ぐそのまま男だけなのだ。

その名もBLACK JAMJAM

無糖です。

男たちの甘えの無い、強烈な苦味が出ればなぁなんて思っているが果たしてどうなるのでしょ。

タイトルも決まりましたよ

「砕けたKの行方」

どんな話になるかワクワクしながら書いてます。

先日何となくテレビを見ているとライオンの生態をやっていた。

ライオンは群れで暮らしており、数頭のメスと、1頭か2頭のオスで社会を作り上げている。
群れで狩りをするが、狩りをするのはメスだけで、オスはとった獲物を狙うハイエナなどを追い払う用心棒のような役目をするという。子供を大切にし、メスがえさをとるのを待っている。
うーんマイホームパパ。
主夫ですな、いわば。
敵であるハイエナは、お母さんたちが獲ってきた獲物を群れで狙う。さすがのお母さんも群れで来るハイエナにはかなわず、せっかく獲ってきた夕御飯を明け渡す。
そこへ、金色のたてがみをなびかせ、お父さんが帰宅、1頭ながら、稲妻のようにハイエナたちを蹴散らす。首元にはエプロン。再び手に入れた獲物を一人悠々と頂くお父さん。影でお父さんは必死に鍛えているはずだ。
しかし、いくらおなかがすいても狩りをしないのだろうか、お父さんは。
はらぺこなお父さんの目の前に、浮かれたウサギなんか現れても、おかあさーん!御飯だよー!って呼ぶのだろうか、ダラダラよだれをたらしながら。どうなんだろ。

そんなライオンはたまに天敵であるハイエナを襲う。手加減はしない。何せ子供すら掻っ攫っていくような奴らだ。勢い余って殺してしまう事もある。
ところがだ、驚くべき事に、そんなハイエナをライオンは食べないのだという。
死んだハイエナを恐れをなして触ったりしている。
これは殺人事件だ。
人意外にも無益な殺生を行う奴らが居る。
無益ではないか、彼らにとっては邪魔者なのだから仕方が無い。
でも仕方が無いで済まされるのか。
邪魔だから襲う。敵だから殺す。これは、生き物の中でも強者で居るものの心理なのかもしれないな、などと考える。

アメリカみたいだ。

強者はその力を、恐れの中で振り回す。

罪は人の手で、罰も人の手で。

空腹という罰がライオンに。

法という鎖が人に。

なんだかそんな話になればな何て、思ってますがどうでしょ。

改めて出来上がったら、報告します。
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# by biritake | 2008-04-11 00:21  

冷たい黄砂に打たれて

黄砂やら花粉やら、春はいろんなものが舞い始めますな。

「うわー、黄砂だ」や「花粉が今日はすごい」とかいつから言い始めたのかな。
かく言う私も、花粉が舞っているのは敏感に感じるらしく、田舎育ちの自慢の鼻も、永い都会暮らしのお陰でやわになってしまったらしい、たまに激しいくしゃみが出る。

空気は透明だと思っていた。すぐ側にあり意識しないでもいい存在だった。子供の頃はグランドの激しい砂埃に目がいたいなんて騒ぎながらも、小さな竜巻を追い掛け回していた。
たまに頭を掻くと爪に砂がは入り、爪に入りきれないほど大きなものがあったりしたら友達に自慢したりしたものだ。
その頃は自分を取り巻く空気なんて、何の意識もしていなかった。

少し汚いぐらいがちょうどいい。

自論です。

少しだけ。ちょっとだけ汚れと呼ばれるものを遺す。

ある本で読んだのだが、基本的に人は身体にいいんだと思えば何を食べてもいいのだそうだ。身体には本能的にいけないものを排除する力があり、より分ける力があるという。
自浄能力とでも言おうか。あるらしい。

誤解を恐れず言うならば、ちょっとお太りになっている方々も、ああ、これ食べたら太るなぁーなんて考えながら食べるから、逆に太るらしい。
痩せる、もうこれ食べたら絶対に痩せると思いながらケーキをばくばく食べるのもどうかと思うが、少なくとも何も考えないで食べるのがいいのではないだろうか。

そんじゃそんなこと考えてない太った犬や猫はどうなるんだ。

もちろん動く事もせず、目の前に美味しい食べ物を並べられ、食べたいだけ食べてたら、エビちゃんだって、伊勢エビちゃんになるだろう(あってるかな?例え)

そこにはどこか燃焼と供給みたいものが必要になるはずだ。野生の虎はいつもエビちゃんなように(あってるのか?)やはり適量のようなものが必要だとは思うが、少なくとも太るなーと思いながら食べるのは良くないのだ。人間は意志の動物なのだから。

だから、食べる時は、食べたそばから全てがきれいに消費され、血となり肉となり、風に消えるイメージが必要なのだ。栄養は身体を駆け巡り、脳を活性化させ、魂を燃やす。
常に燃え続ける魂は機関車みたいなもんで、ドンドン燃料をくべないと、止まってしまうから、食べて燃料を補給し、魂の溶鉱炉に投げ入れる。
だからホラ、そんなに食べたら、まだホラ、燃料残ってるから、ホラ、置き場がなくて、ホラ外にはみ出して、あごの下にドーン!って。

とにかくそんなイメージを持つことが大事。

知りすぎたために排除し続ければその分人の潜在的な能力は下がっていく。

自浄能力を無くした人間はいつか無菌室でしか暮らせなくなるかもしれない。
そこでは、はっきりとした味さえも耐えられなくなった人が無味乾燥なものを食べなくてはならなくなる。

外は黄砂の白い雨。

あえて傘を差さず、ずんずん歩く。
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# by biritake | 2008-03-04 23:36  

確かに僕はそこにいた

地図が好きである。

地図に載っている道をたどりながら、空想を膨らませるのが楽しい。

細かければ細かい方がいい。その地図を作り上げる人たちの細かさとか、勤勉さがたまらなく好きだ。

私は転校少年だった。

小学校5年生までの間に4回引越しをした。

関東から関西まで。

その当時は何も考えていなかった。その土地を去る寂しさも、新しい土地に移る不安も、幼かった私にはたいしたことではなかった。
むしろ引っ越す時には毎回お別れ会を開いてくれて、大切なものをプレゼントしてくれたりする。常日頃友達から奪ってやろうとしていた、宇宙戦艦ヤマトの消しゴムをもらえた時は本当に嬉しくて、お別れ会なのにもかかわらず、やけに笑っていたような気がする。
当時流行っていた、一番高い、競技用でもあるブラックヨーヨーをもらった時は、引越し先の人々に自慢してやるとてぐすね引いていたが、引越し先ではもう一切ヨーヨーは流行っていなくて、庭先で一人で遊んでいた事を憶えている。その性能の高さを誰に告げることもできず、いつしかおもちゃ箱の底で時を止めてしまった。

そのおもちゃ箱さえ、度重なる引越しで、どこかになくしてしまった。

今はもう当時の思い出の品は何一つなくなってしまった。

集めていたマンガも何もなくして生きてきたことは、やはり今の自分に少なからず影響を与えている気がする。

今そこにあるものや、繋がっているものは、とてもはかなくもろく、いつかなくなってしまうものなのだと激しく気付いてしまう。去っていくもの、変わり行くものに対して表向き冷静でいられるというこの性格はそんな暮らしが影響しているのかもしれない。

想い出を捨てて生きていく寂しさ、恐ろしさから、僕は劇団を続けている。

遠い昔、意味もなく愛していたガラクタのようなおもちゃが1つでも手元にあったら、心の奥にある氷のような部分がもうちょっと溶けて、めんどくさい男になれたかもしれない。

何も考えず走り回っていた、それぞれの土地を、地図を広げてたどってみる。別れる事など思いもせずに、走り回った公園や、駄菓子屋や、どぶ川が改めて目の前によみがえる。地図の形は変わり、土地の名前も変わっているが、あのときの気持ちがくっきりよみがえる。

転校少年だった事も悪くないなと思える瞬間だ。

地図は、そんな心を形作ってくれる。
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# by biritake | 2008-02-07 21:56  

都会の忘れられた路地の奥に咲く小さなたんぽぽのような春

もう既にどうしようもなく春が恋しい。
これは年をとってしまったせいなのか、やたらと増えた古傷が冬だと痛むからなのか、冬に勝つ体力がなくなってきたからなのか。
今から春を想像してやまない。
冬に失礼だとは思うが、これも今年の正月をどうしようもなく何となく過ごしてしまった、きまりの悪さから来ているのかもしれない。

春。

卒業式は雪でした。
真っ白な雪に、在校生が撒く赤い花びらが、春の風に舞っていました。
もうここに来ることはないんだというあの気持ちは、やはりどうしようもなく寂しいものでした。
当時好きだった女の子に何も言えず、待つこともできず、何度も振り返るだけだった帰り道。
家の中の何も変わらない日常が腹立たしかった。
もう何十年も前の話。



今の所に住み始めて最も良かったのは、神田川の桜が近い事。
川にしなだれかかる桜の静けさと、花見だ何だと盛り上がろうとしない、神田川の厳かさが桜の精を呼び覚ます。川の流れと桜越しに見える高層ビル群までいとおかし。
ほんの一時咲き乱れるあの桜。今年は満喫するつもり。




春の強い風がすきです。全てが洗い流されていく。服も何もかも脱ぎ捨てあの風に翻弄されてみたい。どっかで出来るとこないかな?一番いいのは、風で、服も、ヅラも吹き飛ばされて真っ裸になる。もう何でもいいやぁーっていいながら空に舞う。これ最高。psヅラじゃないけどね。
都庁の屋上とか出来ないかな?捕まるか。



薄ーい雲がいい。あるかなきかごとく。薄ーく流れている。はぁ~って感じ。少し曇っているのも春なら好きだ。雨の降りそうな重い雲が垂れ込めて、あたたかく湿った風が吹いているのも中々乙なもの。


花粉症があるから春がつらいと言うなかれ。マスクをしゴーグルをかけて見上げよう。春は体で感じるものさ。

嗚呼チクショウ。腰がいてぇ。

はーるよこい。
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# by biritake | 2008-01-09 23:56  

希望の朝だ

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
何をよろしくかと申しますと、気まぐれで投稿しているこのブログをどうかそれでも眺めてみてくださいましの、よろしくでございまして、まあいわば、ご贔屓にしてくださいということでございます。
年が明けたのに去年のことを言うのは、野暮というかなんと言うのかまあ、それでも今年を迎えるに当たってとても大切なので、あえて言わせて頂くと、生まれて始めての骨折をしたり、1週間で2回、違う芝居の本番を迎えたりとであまりにめまぐるしく過ぎた1年でございました。
骨折が人の何を変えるのだろと、完治した今考えてみるのですが、危険は今そこにあるということぐらいで、あのときの反省など全くなされず、飲んでは記憶をなくす日日を送ってしまいました。
あの時あたたかく、優しく声をかけてくださった皆様、申し訳ございません。
僕はやり直しが効かないほど愚かな男でございます。
すがる神がいたならば今すぐに謝りたい心境です。

年明けに際し、改めて思いやり深い人間になろうと、並んだビールの空き缶に誓いました。

いいえ、ビールの空き缶にではございません。そうしようと思ったときにはもう既にそこにビールの空き缶があったんでございまして、ああ、そういう思いやり深い人間になろうと手を合わせたのがたまたま目の前にビールの空き缶が2,3本・・・

ああ、2,3本

酒が悪いわけではございません。酒には何の罪もないのは皆様もご存知の通りでございます。
ああ、けれど酒は、鋼鉄の鎧をどうしていとも簡単に脱がせてしまうのでしょうか。

鋼鉄の鎧の隙間からするするっと僕の心に入り込む酒に本当に罪はないのでしょうか。
誰か罰してください、お酒を。
心の不法侵入です。
僕がお酒の弁護人。
飲まなきゃいいじゃないか、などとは申しません。
お酒の魅力の前でそんなことはいえません。

いえるのはこれだけ

程ほどにすればいいじゃん。

今日も泡がゆれている。

弱く、自堕落な私ですが、今年も出来れば温かい目で見守ってください。

皆様にとって素晴らしい1年でありますように。

乾杯。
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# by biritake | 2008-01-02 00:55  

かたじけなさになみだこぼるる

極めたいな、どんどん。1年1年、日日の積み重ね。
1個1個積み上げてきたものを、来年は出していきたい。
もぎたての野菜よりも、ぬかずけのような味になりたい。
それしかない。
かたくなでもいけない。
自然に自然に。

気の流れを乱さず全てを受け止めて。

「戻り川ハイツ303号室」
という芝居を書いた。女の寂しさを書いてみたいと思った作品。
出来るだけ自然に、出来るだけ赤裸々に女性を描いてみたいと思った。
そこにいると言う事を激しく意識したかった。
シリーズ化にしたいという2人の強い要望にこたえるべく何度も討論を重ね作り上げた。
改めて女性というのは愛なしでは語れないという事に気がつく。
そこは2人も大きくうなずいてくれた。
まだまだ女性の本当はわからない。永遠に解らないだろう。わからなくていいのだ。それは舞台の2人がつむぎだしてくれる。作家の役目ではない。

僕の眼に映る女性というものをそのまま、フィルターをかけずにどれだけそのまま出せるか。考えるべきはそこだろう。

2人がけんかになり気まずくなって、ぎこちなく思い出話を語るシーンがある。
ここは何度も話し合った。
何年も付き合う2人はこんなことを話さないのではないか。2人は言った。
だからこそなんだと僕は主張した。
友達は友達なのだ。
心を割っていても、全てを分かり合っていても、やはり語り合う事が友なのだ。
それが、ある時期をともに共有できた者たちの、素晴らしい関係であるのだ。

いまだに僕は中学、高校、予備校とともにした友達と、恥ずかしい思い出を語り合う。
久しぶりに会えばなおの事。
それはまるでその頃にタイムスリップする喜びをかみしめるようなものだ。
何度話したってそいつと話せば色あせない。
世の中に出てドンドン流されて、いろんなことを学んで、皺が増えて、腰が重くなったって、そいつの顔を見て、声を聞けばたちまちその頃がよみがえる。
気まずくなった時に、戻るべきは、何も解らず純粋だったあの頃の2人を求めるのではないのか、僕はそう考えた。

これから何十年かたち、この芝居を思い出すとき、2人にも共通の淡い思い出として語り合う日が来ると何となく信じている。

今回嬉しかったのは、女性の方に喜んでもらえた事。

芝居の後、お酒の席で泣きながら友達でよかったと語り合ってくれた女性もいた。

これからも続くであろう女性の友情物語。

僕はただ見つめているだけ。
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# by biritake | 2007-12-31 00:59