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かたじけなさになみだこぼるる

極めたいな、どんどん。1年1年、日日の積み重ね。
1個1個積み上げてきたものを、来年は出していきたい。
もぎたての野菜よりも、ぬかずけのような味になりたい。
それしかない。
かたくなでもいけない。
自然に自然に。

気の流れを乱さず全てを受け止めて。

「戻り川ハイツ303号室」
という芝居を書いた。女の寂しさを書いてみたいと思った作品。
出来るだけ自然に、出来るだけ赤裸々に女性を描いてみたいと思った。
そこにいると言う事を激しく意識したかった。
シリーズ化にしたいという2人の強い要望にこたえるべく何度も討論を重ね作り上げた。
改めて女性というのは愛なしでは語れないという事に気がつく。
そこは2人も大きくうなずいてくれた。
まだまだ女性の本当はわからない。永遠に解らないだろう。わからなくていいのだ。それは舞台の2人がつむぎだしてくれる。作家の役目ではない。

僕の眼に映る女性というものをそのまま、フィルターをかけずにどれだけそのまま出せるか。考えるべきはそこだろう。

2人がけんかになり気まずくなって、ぎこちなく思い出話を語るシーンがある。
ここは何度も話し合った。
何年も付き合う2人はこんなことを話さないのではないか。2人は言った。
だからこそなんだと僕は主張した。
友達は友達なのだ。
心を割っていても、全てを分かり合っていても、やはり語り合う事が友なのだ。
それが、ある時期をともに共有できた者たちの、素晴らしい関係であるのだ。

いまだに僕は中学、高校、予備校とともにした友達と、恥ずかしい思い出を語り合う。
久しぶりに会えばなおの事。
それはまるでその頃にタイムスリップする喜びをかみしめるようなものだ。
何度話したってそいつと話せば色あせない。
世の中に出てドンドン流されて、いろんなことを学んで、皺が増えて、腰が重くなったって、そいつの顔を見て、声を聞けばたちまちその頃がよみがえる。
気まずくなった時に、戻るべきは、何も解らず純粋だったあの頃の2人を求めるのではないのか、僕はそう考えた。

これから何十年かたち、この芝居を思い出すとき、2人にも共通の淡い思い出として語り合う日が来ると何となく信じている。

今回嬉しかったのは、女性の方に喜んでもらえた事。

芝居の後、お酒の席で泣きながら友達でよかったと語り合ってくれた女性もいた。

これからも続くであろう女性の友情物語。

僕はただ見つめているだけ。
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by biritake | 2007-12-31 00:59  

いくの細道

松尾芭蕉に怒られそう。

今年も終わるが、終わったところで何も変わるわけではない。
んが、なんだか師走というのは何かが変わる感じがして好きだな。
変わらないのは解ってるんだけど、それでも何かが変わりそうな予感を常に抱いてしまう。

1年の節目って奴だけど、あんまり過去を振り返っても節目になったためしがない。

では、今年は節目なしで。
つるっとしたので行きます。

2年ぐらいを一パックで考えてもいいんじゃないかな。
「今年正月あるんだっけ?」
「ううん、今年はスルー年」
何つってね。なんもなく過ぎるの。
16月12日なんて言ってね。

盛り上がるでしょー24月31日は。ほとんどおやすみだろうね24月中は。
ウルトラ大晦日なんて言ってね。よく頑張ったなんて盛り上がるのよ。
紅白も24時間。24月だけに。
サブちゃんトリまでもつか!なんて言ってね。
最後は「サライ。」
サブちゃんの歌歌わせてもらえないから。みんなで大合唱。

ゆく年くる年なんて2年分だから、画面真っ暗。何にも見えないのもう。声も聞こえない。
お坊さんの鐘つきも気合が入りすぎちゃって、108つもたずに鐘割れちゃったりして。
ああ、違う2年分だから216だ。だから早いの打つのが、8ビート。
お坊さん上半身裸、ヘッドパッキング。
参拝客も自然と体がゆれちゃったりして。
「坊さーん!」なんて声かかっちゃって。
「あいしてるぜー」なんていっちゃって。
煩悩丸出し。

20月は「はたちがつ」と読みます。

この1年があまりにもあっという間に過ぎたのでこんな妄想を描いてます。


師走に2つ芝居がありました。

1つはジャムジャムホリデーVOL3
「戻り川ハイツ303号室」

ご来場いただきました皆様ありがとうございました。

ものすごく遅いですが御礼を申し上げます。

笑いの中にほのかに漂う寂しい女2人芝居を目指したのですが、中々やはり苦労の耐えない公演でした。遅くなりましたが後ほどゆっくりしたためることに。

そしてついこの間、映画を撮ってきました。今度は役者で。何かまた僕の小さなバケラッタ魂に火をつけてくれた撮影になりました。
来年ちょっと役者もやっていきます、行くんです。

こちらも心境など細かい事は後日。

とにかくこの節目、何とか節目とするために、来年は「未後悔。」というテーマで行きます。

迫り来る老いと戦うためにはこの気持ちだと気がついた今、薄ら笑いが止まらない。
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by biritake | 2007-12-27 23:28  

罪のない罪と罰

無邪気という言葉がある。
邪気がないというが、本当にそんなことがあるのだろうか。
少なくとも物心がついた頃からの私は、邪気の塊だった気がする。

物心つく前の頃にしか無邪気という言葉は当てはまらないような気がする。

一人寂しく歩く事によって、親の愛を確認しようとした事は数知れず、それが行き過ぎて迷子になった事も数知れない。

困らせる事によって何かを確かめる時、決まってそ知らぬフリをしていた。
それは振りであり、子供ながらのあざとい計算だった。

気に入らない奴が、かくれんぼしようぜーなんて皆を集めて、遊び始めた時も、タイミングのいい、一抜けた攻撃で、そいつのイニシアティブを叩き壊した事もある。

当時流行っていたロボットマンガに出てくる剣を、拾ってきた木で珍しく上手に作ったときも、近くに住む手癖の悪い友達にそれを見せびらかし、そいつの目がほしそうに、鈍く光るのを楽しんでいた事もある。案の定その剣は盗まれた。

無邪気なフリをしてれば喜ばれる。可愛い奴だと思われる。

いつしかそれが出来なくなったときがある。可愛い自分でいられなくなる。何もかもに臆病だった僕は、大人に喜ばれる為の笑顔さえ出来なくなって行った。そこにまつわる邪気に絶えられなくなったのかもしれない。

この世の中に邪気のないものなどないのだ。

だから、赤ん坊がお乳を飲む姿や、小さなことで笑う姿に、心が癒される。

物心がつき一人で歩き出した時から人は邪気をまとわなければ生きていけないのだ。

ある時テレビを見ていたら、外国で子供たちが可愛がっているカエルのレースがあった。子供たちの手塩にかけたカエルを持ち寄り、レースをするのだが、ある少年は、スタート直後2回ほど跳んだカエルを突然踏み潰した。開場は悲鳴に包まれるが、そこには無邪気に笑う少年がいた。あのときの彼の笑顔は、本当に邪気がなく、子供が邪気の塊である事を証明していた。

彼は人のもつ裏腹な心を見事に表現して見せた。

そういう意味で彼は無邪気だった。

ねたみ、そねみ、隣の芝は青いのだ。

そんなことは考えてはいかんのだと、理論で武装し、不感症を装っても、人の持つ根源的な邪気は拭い去る事はできない。

大人になり、社会に加わると、全てはおぞましいほどの邪気に包まれる。

そんな邪気をあからさまにぶつけられた時、僕の中の邪気は、激しい闘志に包まれる。

邪気の暗い海の中を、冷たい輝きを放つ社会のルールにしがみつき、何が正しいのか思い知らせてやるという闘志が燃えてくる。

子供のような大人だらけのこの世の中で、無邪気を装う人間ほど信用のならないものはない。

誰もが幸せになる為には、不幸せな人間が必要になる事に気付く邪気が必要なのだ。

不慮の事故があり、不幸なことで死んでしまう方がいるから、今の自分の幸せがあるのだ。

そのことに目をつぶらない邪気が必要だ。

いつか自分が不幸な目に会っても、それが誰かの幸せになるのならばそれは幸せなのだとは決して思わない強い邪気があるのならば、幸せになれるのかもしれない。

もっともそんな幸せなら。いらないけどね。

邪気溢れる。日記となりました。

ねっとりとした夜の罰が下るでしょう。
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by biritake | 2007-12-11 00:22  

片付けられない想い出を

片付けられない人がいる。
何を隠そうこの私もその一人。
なんだかんだ気がついたら、まわりがとっ散らかっている。
昔からそうだ。
とっ散らかってる勉強机を見て、片付けろ!とひつこく叫ぶ母に「これは僕にとっては片付いているのだ。」と言っても認めてはもらえない。しぶしぶ片付けると、案の定自分がどこに何をしまったのかわからなくなってしまう。
同じ物を同じ所に片付ければいいと言うが、果たして耳掻きは文房具なのか、いや生活雑貨だろ、生活雑貨って何だ、爪きりなどと同類のはずだ。ポケットティッシュは爪きりと同類なのか、リップクリームはどこだ、おまえは誰だ。
教えてあげよう。確かに机の上は散らかっているように見えるが、そこには全て想い出のまま止まった時がある。なぜここに無造作に定規が転がっているのかというと、あの時、小道具を作ってる時狭いところにガムテープを張るのに必要だったのだ。そうなのだ、あの時確かに小道具を作ったのだ。ああ、そしてあの芝居は初日がうまくいかなくて、苦労したのだ。そうだ、久しぶりにあいつに電話してみよう。驚くだろうな。アドレス帳は・・・そうだ、バイトの面接に行ったときに持っていったから、あのかばんだ。あのバイトは暗いところだったから間違いなくことわることになるな、面接官の、暗い顔と薄い陰がなんとも憂鬱だ。あんなとこで働くとああなるのかと思うとやってられない。断わろう。電話しなきゃ。
手帳を開くと昔書いたネタがあった。面白いじゃないこれ。今度何かに使おう。この名刺誰だ?
ああ、グラフィックのデザインしてたって言ってた、あのひげの人だ。酔っ払ったなあのとき。
焼酎を飲みすぎたんだ。安い焼酎。4リットルとか入ってる奴だ。2度と飲むもんか。あの人はいい人だけど、思い出すとあのときの焼酎とその人の家の倉庫になってた風呂場が思い浮かぶ。
フロどうしてるのか、聞けなかったなぁ。
とりあえず電話するか。

とこうなる。これはドンドン続き、僕の記憶の再確認となる。これではもちろん片付くわけがない。

ある脳科学者が言っていた。
片付けられない人は、脳の中の整理に忙しい人なのだと。
僕はまさにそれ。
無造作に置かれたものは全て無意識の意味があり、生活の流れがあるのだ。

春に芽吹き、夏に咲き誇り、秋に実を付け、冬に枯れ落ちる。
落ちた葉には、意味がある。
そこの木に葉を開き、枯れて、無意識の風に舞い、そこに落ちる。
落ちた葉はやがて朽ちて、栄養となり、新しい命の糧となる。

美しいと思わないか。この歴史の重みと意味を。
掃除をしてしまってはそこに意味などなくなってしまうではないか。
だから僕は片付けないのだ。
歴史をゆがめる権利は誰にもないはずなのだ!

いいから片付けなさい!

母の声が聞こえた気がした。
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by biritake | 2007-12-07 00:31